一人で出来ない=未成熟 なの?

夜中に子どもの寝息の傍らで
『ただ、君を愛してる』をHuluで見ました。そこから感じたこと。

私はスーパーマン的完璧な人間を目指してわが子を育てている訳じゃない(筋肉すごいとかじゃなくて)

だって、私は完璧な人間じゃない(肉体的にも 精神的にも)

私の苦手は 誰かの得意で(羨ましい)

誰かの苦手は私の得意   かもしれない(得意という自信はないけど)

我が子の苦手は 誰かの得意で

誰かの苦手は 我が子の得意  かもしれない

誰かの苦手を誰かの得意で補いあえるのも

誰かと生きていく理由なんじゃないか

だって完璧じゃない私もそうやって誰かに助けてもらって、

誰かの力になることもできて

こうやって幸せに生きている


だから、我が子を完璧な大人   に仕上げるんじゃなくて

得意なことで 誰かを助けられる人に 育ってほしい


助けてもらう経験と 助けてもらう喜びを
信じてもらう経験と 信じてもらう喜びを

たくさん たくさん 得られるように
子どもを信じて  助けていきたい


素直に『助けて』って手を出せて

自然に『助けるよ』って手を差しのべられる人になってほしい。


それは、東京で子どもたちがお世話になった幼稚園の園長先生がよくお話されていた事でもあります。

片付けが 出来た方がそりゃ良いけどね。

一人で片付けられる人も、みんなとなら片付けられる人も、どっちも良いよね。

結果 、片付いてるなら。


ついつい 何でも『自分のことは自分で 一人で出来る』が一番って考えてしまうけど
『誰かと助け合いながら 出来る』っていう目標でもいいんじゃないかな。

映画『ただ、君を愛してる』の中で
『あなたは幸せをひとつもっていて、誰かがそれを受けとるのを待っている』みたいなセリフがあって、すごく素敵だなと思いました。


子どもたちには、何でも一人でできる人、じゃなくて、誰かと一緒に生きていける人、になって欲しい。
だから、『自分でやりなさい!』『一人でやりなさい!』みたいなのって、実は私が思ってたことと違うんじゃないか、と思った次第です。

そりゃそうなんだけどね~
実際には難しいよね~と、続くのですが。
一人でも何とかしなきゃいけないこともあるし
でもなんか、『一人で出来ない=未成熟』っていう思想は自分の首を自分で絞めているような感じがします(自戒)

社会に出る=無人島でサバイバル!!じゃない!!…と信じたい。
ついつい自分が完璧な人間ではないところを悔み子どもの不出来に苛立ってしまう そんな自分への、公開メモでした。